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2019年05月03日

20190501_CLトッテナムvsアヤックス①

やはりというべきか、ファーストレグの軍配はアヤックスに上がった。
まず個人的な印象を述べておけば、これはフロックではないし、若さや勢いだけのなせるわざでもない。もちろん多くの選手が若く、勢いはある。だがそれ以上にアヤックスには力があるのだ。その点を過小評価すべきではないだろう。
同時に今のスパーズは中の上レベルだと思う。とにもかくにもケインと孫興民を欠くのが痛すぎる。だから今日については善戦したとすら言えるのではないだろうか。戦前の予想が全体的にどうであったかわからないが、この状況でスパーズを持てるのは、信念のあるファンか名前しか見ない外野のどちらかだろう。
たしかに3バックは後ろが重く、ハマらなかった。不運な形でのフェルトンゲン退場、シソコ投入からかなりペースをつかんだことを考えるなら、ポチェッティーノの采配ミスということになるだろう。ただ、シソコがケガ明けということ、フェルトンゲンも軽いケガ明けではあるものの、彼を左に持っていってローズを中に絞らせる変化もある、そういった点も頭に置いての布陣だったとは思う。さらに邪推するなら、セカンドレグに孫興民だけでなくケインも戻ってくる(本当か?)こと、つまりここは無理せずにしのげばアウェーで差し切れるとの目論見もあったかもしれない…いや、さすがにそれは甘く考えすぎか。
ともかく、攻めきれるほどの戦力がいまのスパーズにはなく、戦術に変化を与えられる駒もない。となればやむを得ない選択として、開始時の3バックを排除することはできなかったのかもしれない。
布陣以上に残念だったのは攻撃の単調さとフィニッシュの精度である。とにかく、控えで攻め駒がないのは痛い。リズムも変えられないし、動きが鈍ってもリフレッシュすることがかなわない。
またジョレンテを入れたため、彼の高さやポストプレーを活かすことにこだわってしまった面はなかっただろうか。それはそれで成果を出してはいたが、とくに終盤はかえってマークをハメられていたようにも感じた。やはりスパーズにあっては、基本的にこのポストプレーからの攻撃はオプションなのだと思う。

ともあれ、次は複数得点が必要になる。アグレッシブにプレーできると考えれば、かえっていつものスパーズらしいハイテンションなサッカーになるかもしれない(アヤックスに対して、スパーズはどこにでもあるサッカー、との声もあったが気にしない)。もちろんアヤックスだって構えて受けて立つようなことはしないだろう。バルサとリバプールにも決して劣らぬ、見応えある一戦になることは間違いない。
一点、フェルトンゲンは心配だ。検査の結果を待ちたいところだが、歩けずにしきりと唾を吐いていたあの去り方を見るに、やはり簡単には出せないだろう。また一旦ピッチに出したスパーズに非難の、様子を確認した審判の判断に賞賛の声が上がってもいたようだ。セカンドレグではこういう事故はないのがもちろんいいし、対応も安全を期したものであればと思う。  


Posted by くりおか at 18:49Comments(0)

2019年05月01日

20190501 新元号

改元がなされた。やっぱりよくわからないままで、年越しそばがトレンド入りしたこともうなずけた。
ただ、こういう形での改元は憲政はじめてのことであるし、生前退位は202年ぶりとのことなのだという。結局実質はじめてのことで、みんなよくわからないのだ。日にちも決まっていたし、前後は休みだし、そうなればまさに年末年始そのものだ。M氏からはあけましておめでとうというメッセージが来たし、N氏からは今元号もよろしくと来た。
きっとネットやテレビを観れば、いろんな様子や儀式の情報などが流れていて、改元を感じることができるのだろう。でもそうした映像はきっと後々まで残っているだろうから、目に焼き付けておかねばならないものでもない。無理に感じようとする必要もないだろう。

平成最後の4月30日は、たまたまもらった券でM氏と野球を観た。朝アロマに行き、そこから丸善をしばらく眺められたのがまずよかった。
丸善ではイディッシュ短篇集:これは目に付いた本がM氏となんとなく結びついたためだ:と、鷲田清一:きっと買うだろうから後回しにしようかと思ったのだけれど、どうにも目が合ってしまった。いったん『孤島』を手にとってレジに行きかけたが、やっぱりこれに替えた:を買った。この選択もよかったと思う。
東京ドームに入ってみると、われわれの席はなんと内野席の最前列だった。前のほうだろうとは思っていたが、これはまったく予想外だった。最前列は目の前がフェンスで足元が狭いなど、いままで考えたこともなかった。グラウンドを撮ろうとするとネットにピントが合ってしまう点も同様だ。
久々の観戦ということもあったし、気のおけない友人との観戦ということもあったし、そしてそんな席での観戦ということもあって、とても楽しんだ。試合もロースコアながら動きもあって面白かった。近くの席のおばあさんが焼き鳥を分けてくれたりもした。
そこから早々と山ちゃんに行き、おおいに食べた。改元や転職がらみの話などし、最後にチャーハンを食べて満腹になった彼とともにさらにロイホに行った。そこでは筋トレや抽象化の話題で盛り上がったり、聞き手付きの講座の効果について考えたりしながら、デザートをたのしんだ。あたたかいチョコレートが向こう側にたれてしまったりもした。
肌寒く、霧雨も降る天気だったが、とても楽しい一日だった。平成にやり残したことはいくつもあったが、こうして会いたい人と楽しく過ごして締めくくれたのは、改元がピンとこないとはいえやはり素敵な思い出である。次の改元がどのような形で訪れるのかはわからないが、こういう形でさわやかに区切りをつけられたらいいと思う。

今日はここ数日の反動であまり飲み食いする意欲がわかないが、ベアード吉祥寺のオープンを見たい気はする。そして何より、これからトッテナムvsアヤックスをチェックせねばならない。どちらが勝ってもどこか寂しい準決勝だが、個人的には8割がたアヤックスだろうと思っている。  


Posted by くりおか at 09:50Comments(0)

2019年04月30日

改元によせて

4/28に書いたこと。

4月も残すところあと2日、すなわち平成も残すところあと2日となった。10連休もあいまって、巷では平成ありがとう、おめでとう令和、といった祝賀ムードを多く目にする。
平成が終わるのか、と思ってみても、わたしの場合物心ついた頃から平和であったわけなので、正直改元の感覚はよくわからない。ちょうど前後の休みもあるので、年末の気分に似てはいるが、やはり実際は違うのだろう。
改元についていえば、今回は生前退位ということで、少なくとも結果からみれば良かったのではないかと思う。正直にいえば、この話が出てから改元までの間に崩御されたらどうするのか(まだそのおそれもあるが)と思っていたが、そういうこともなく良かった。やはり人が亡くなることで新たな時代を迎えるというのは、暗く不健康なものである。それに天皇その人が日本という国家に先立つというしくみは、時代にもそぐわないだろう(もちろん元号や天皇制がどうなのかという話も、当然あると思う)。
ただ、新元号は個人的には全然好きになれない。やはり「令」の高圧的な印象に尽きる。さらにそういう嗜好だから、「令和ブーム」のような雰囲気に接すると、輪をかけて居心地の悪い気分になる。ブームという現象のもつ浅薄さや冷淡さが、「令和」の印象とうまく重なり合ってしまうのだ。
そうはいうものの、わたしもまた新時代への希望を抱くひとりだ。この思いのあり方はやはり年末年始とは異なる。次があるとしても、10年や20年先ということになるだろう。ひとつの時代に期待を投げ入れること、やがてそれを受け取って大事に持ち続けること、そのやりとりが今まさになされようとしている。  


Posted by くりおか at 22:54Comments(0)